FILE003:野良猫たち
[STRAY CAT]

『小田桐動物病院』入り口横の看板を、懐かしそうに見つめる”ちゃか郎”。

急患だ!! 急患!!
院内で大騒ぎする藍川の声は、彼の耳に届いていない。

2度と、ここに来ることは無いと……思っていたんだが……な
”ちゃか郎”は、目を細め……独りごち……、そして瞳を空へ向ける。

……意識は、数年前へ飛ぶ……。

俗に『民間捜査員法案』と呼ばれる警察官人員減少の対策案が、9月の臨時国会で可決。年明け4月の本格施行を前に、『民間捜査員』への転職を考える警察関係者も少なくなかった。警官不足を穴埋めするはずが、逆に警官不足を加速させる事になったのは、何とも皮肉な話である。

市民生活の安全向上に貢献したいと思う現場警察官がいる反面、上層部の思考は硬直化しており、組織全体に蔓延する何とも言えない閉塞感を、誰もが何とかしたい……と感じていた矢先。
「民間になれば……」と、思う警官がいても不思議ではない。
もっとも……公務員体質の染みついた転職組が、世間の厳しさを痛感するのは少し先だ。

……逃走する被疑者を追い詰め、その手首に填められた手錠が重い金属音を響かせる。
「午後8時42分!! 被疑者確保!!」

小雨降る中、赤い回転灯を瞬かせるパトカーの群れ。被疑者確保を伝える無線音声が飛び交い……一つのヤマがまた大きな節目を迎えた。

捜査員達に囲まれ、署に連行される被疑者……その後ろ姿を見送る一人の若手刑事。
「”ちゃか郎”!!」
彼は、ベテラン刑事の呼び掛けに振り返る。
「被疑者の確保、御苦労さん。 ……って、ほっぺたから血が出てるぞ。向こうの救急車で 手当てしてもらって来い。」
若手刑事の頬には、刃物を振り回す被疑者によって付けられた小さな切り傷が。
ベテラン刑事に一礼し、救急車へ疲れた足を引きずりながら歩いていく。

この刑事こそ、後に民間捜査員となり、さらに猫へと姿を変える”ちゃか郎”こと早坂二郎……その人である。

BEST PLACE FILE003
野良猫たち [STRAY CAT] ACT 3

一般に極秘とされている刑事の自宅所在地がインターネット上で暴露され、そのうち数件が少年犯罪グループの襲撃を受けた。
頭部を壁に叩き付けられ、生後2ヶ月で殺害された赤ん坊。
精神的・肉体的苦痛で精神障害を煩い、自殺した新妻。
「凶悪」・「異常」という単語すら霞んで見える凄惨な事件現場が、そこにあった。

床一面が血糊で覆われた状況を目の当たりにし、初動捜査に立ち会った捜査員達は、自らの職務が近親者を危険に陥れる可能性のある事を再認識する。

……警察はその面目を掛け、事件解決に全力を注ぐ。
最初の襲撃から1週間後、襲撃の実行犯数名を次々と逮捕。さらに3ヶ月が経過し、先程の逮捕劇によって、データ流出に関与した男の身柄を確保。
あとは、データを手に入れた人間を特定するだけだが、現代のソフト技術をもってすれば時間の問題といった所……と、表向きには報道された。もちろん、模倣犯を牽制するのが目的だった。

桜の花びら舞い散る……春の公園。
暖かな日差し、噴水の水にも温もりを感じる景色の中、スーツに身を固めた”ちゃか郎” の姿があった。彼の目が携帯電話の時計から、公園の入り口の方へ向けられると……、その視線の先から、白衣をなびかせた一人の女性が小走りに近寄って来る。

「ごめん……外来のゴールデンレトリバーが、長引いちゃって……待った? 」
肩で息をする白衣姿の彼女、その胸には『獣医 小田桐杏子』と書かれたプラスチック製のネームプレートが揺れていた。杏子は鼻から落ちかけた眼鏡を押さえ、呼吸を整える。

「いや、私も来た所さ。」
「……”ちゃか郎さん”って、いつも急なんだもん。」

”ちゃか郎”は一拍おいて、杏子の言葉に答える。
「悪いな。……こういうのは、もう最後にするから。」
「仕方ないよね。私は獣医で、あなたは刑事。お互い忙しいもんね。……で、わざわざ呼び出した用事ってなぁに?」

杏子は、いつもと違う”ちゃか郎”の雰囲気にワクワクしながら、彼の言葉を待つ。
”ちゃか郎”は、そんな杏子の純真な瞳を正視出来なかった。
彼女に背を向け、小さな咳払いをし、口を開いた。

……別れよう。

その一言の後に、どんな会話をしたのかは良く憶えていない。
笑ったり、泣いたり、怒ったり、杏子の表情がクルクルと変わった末、”ちゃか郎”の一方的な希望で彼女との交際は終焉を迎える形となった。

「どうして?なんで急に別れなきゃいけないの? 私が原因なら謝るから!!」
「それは……」
”ちゃか郎”は言葉に詰まった……が、何かを無理矢理、押し貫くように言い切る。気の利いた言い訳の一つも思いつかぬまま。

「別れる理由は、……その……君が原因じゃないんだ。」
「じゃあ、どうして!?」

”ちゃか郎”は彼女の問いかけに答える事もなく、背を向けて歩き出し、杏子は、絶叫にも似た言葉を彼の背中に向けて吐露する。

……良く分からないけど……、今は分かった事にしておいてあげる。でも、これだけ約束して。いつか話せる時が来たら、……必ず話して!ずっと待ってるから!!

痛いほど眩しい陽の光に目を細め……、”ちゃか郎”は現実に引き戻される。
こんなんでセンチメンタルになるようじゃ、焼きが回ったかな。
気を取り直し、自転車のバスケットに飛び乗ると……、藍川が病院からトボトボと出てきた。手にはジャケットに包まれた猫が抱かれている。だが、生命の気配は感じられない。すでに「猫だった物」に変わってしまったようだ。

藍川の後に続いて、白衣姿の女性がドアの側まで歩いてきた。長い髪を後ろで束ね、鼻の上に小さな眼鏡を乗せており、胸のネームプレートには『獣医 小田桐杏子』とある。

「その猫ちゃんには気の毒でしたが、丁重に埋葬してあげてください。区役所の方でも相談は受け付けてますから。」
「どうも、お世話になりました。んじゃ、”ちゃか郎さん”、帰ろうぜ。」
にゃー

藍川が猫の亡骸をバスケットに入れ、自転車のスタンドに足を掛けた時……、杏子が話しかけてきた。

「……あの……、その三毛猫は……あなたが飼ってるの?」
藍川は”ちゃか郎”に気を使いながら、
「うちで飼ってる三毛猫の”ちゃか郎”ですけど……それが何か?」
「ちょっと……抱かせてもらっていいかしら?」
「ええ、構いませんけ……ど。」
藍川の言葉が終わらないうちに、杏子は”ちゃか郎”を抱き上げ、優しく撫で始める。
杏子の懐かしい香りが、”ちゃか郎”の鼻腔を刺激する。あれから何年も経つのに、彼女は何もかも、あの頃と同じまま。

変わり過ぎてしまったのは、”ちゃか郎”の方なのだ。
こんなに近くにいるのに……。呪うのは、あの頃の自分。そして今の姿。
煮え切らない思いを抱えつつ、”ちゃか郎”は杏子に抱かれながらゴロゴロと喉を鳴らすのだった……。

TO BE CONTINUED

作者:ねこ博士(アマチュア小説家猫)
TVゲームをこよなく愛する猫。
『小説 BEST PLACE』の執筆に熱く燃えている。

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